ただ一つ、君に誓えること。
ただ一つ、僕が誇らしく思えること。
ただ一つ、最後の最後まで君が好きだったよ。
僕は、僕で小さなままだけど。
――さようならの、空模様
「笑うとえくぼができるの……」
彼女は、さも深刻だ、といわんばかりに表情を曇らせた。
僕はただ、何を言いたいの、と首をかしげた。そうすると、彼女は盛大にため息をついて、机の上につっぷした。
「いいなぁ、沢渡君は顔も、体もほっそりしていて……」
上目気味に覗き込む彼女。羨望と嫉みを含んだまっすぐな眼差し。僕はその視線が耐えられなくて、たじろいでしまった。
「江上は、江上の顔のままでいいんじゃない?」
彼女は、僕の言葉が不服なのだろう。まだ上目気味に、今度はこどもっぽく頬を膨らませた。
「細身の沢渡君には、私の悩みなんてわからないよ……」
「悩み…」
「まず、ほっぺたの肉がいらないよねぇ」
そういって彼女は膨らましていた頬を今度は、自分の手でつねってみせた。
「そう?」
「そう!」
「別に、そのままでいいと思うけど?」
「そ・れ・は、沢渡君が私じゃないから言えるんだよ!」
「…江上的には嫌なの?」
「そう!許せないの」
僕はまた、首をかしげた。僕が思うに、江上はそのままで…
その、なんというか……
可愛らしいと思うのだけど……
それは、惚れた弱みというわけでもなく、ごく客観的に述べている…はずだが。
「どうして許せないの?」
「だって……」
彼女は、まるで小さな子どものように口をすぼめて、口を噤んだ。
そしてまた、僕は首をかしげた。
僕たちを取り囲む、クラスはゆっくりと晩秋の、冬の気配をいち早く察知したかのように、そわそわと浮き立っていた。
お昼の独特の匂いや、喧騒や、表情。年中変わらなそうに見えて、その実、敏感に感じているんだ。
何が?と尋ねられても、曖昧にしか答えられないけれど。けど、空気が。皆が放つ、冬への、憧憬そして嫌悪感。
それが、僕らを浮き立たせた。
「あっ……」
江上は息をつめた。
その眼差しは、何かを含み、潤んでいた。
彼女の視線の先をゆっくりと追うと、
「……中谷」
そこにいたのは、僕と仲のよい、中谷慎也だった。
中谷が他のクラスメートとどこかへ行っていたのだろう。入り戸を賑やかに開けて、自身も賑やかに話し込んでいた。
江上は何も言わず、ゆっくりとその潤んだ瞳をゆっくりとあらぬ方向へと逸らしていった。そして僕の横目から見える中谷が、無表情でどこか鋭い眼差しでこちらを見ていることが感じられた。
江上はそのまま視線を上げることはなく、僕は、何故か長い間呼吸をすることを忘れてかけていた。
中谷がその鋭い視線を逸らしたのがわかると、僕の胸がほっと撫で下ろせた。
僕は、少しだけ驚きを隠せなかった。
僕の知っている中谷は、さほど馬鹿騒ぎを好まず、だからといって優等生優等生はしていない。休み時間、一人で読書をしていると思えば、クラスメイトに紛れて校庭でサッカーもするようなやつだった。
穏やかで、明るい中谷。彼が今まで、こんなにも鋭く、刺すような眼差しをするところなど見たことはなかった。
「…江上?」
江上は僕の声なんて、まったく聞こえていない様子でほんのりと、首元から耳まで赤らめていた。
そして、僕は一瞬にして、事態を飲み込めてしまった。
江上、と呼びかけて、僕は口を噤んだ。
そして江上同様、当てもなく床に視線を泳がせた。
そしてしばらくして、開口したのは江上だった。
「あの…ね…」
江上が心細そうに机の上で指を組んだ。
その小さな白い手は、かすかに震えて、僕の心に微かな衝動を与えた。
「う、ん」
「わ、たしって、顔丸い…じゃない?」
「…そんなことはないと思うけど」
彼女はやがて、泳がせていた視線を僕に向けた。
そして僕は、無意識のうちに、彼女と同じ机の上に、自分の手を置いていたことに気づいた。
はっと、僕は思わず自分の手を引っ込めた。
けれど彼女は、僕の一連の行動にまったく目が行っていないのか、少しだけ揺れるその眼差しを僕を通り越して、黒板前にいる彼に注いでいるようだった。
「ほんとう?」
江上が、不安げに、首をかしげた。
サラりとセミロングの髪が肩をすべる。
――ああ、本当にこの世に神様がいるのなら、
「ほんとうだよ」
僕は今動かせる、ありとあらゆる表情筋を動かして笑って見せた。
「江上は……自分に自信を持ちなよ」
そして、彼女は花が咲くように、はにかみながら微笑んだ。
「ありがとう、沢渡君」
――神様ほど、無慈悲な人はいないだろう。
僕の目の前で、
僕の好きな人が、
こんなにも胸をくすぐるほど、微笑をたたえているのに、
僕は、僕は彼女の髪の毛一本すら、触れられないんだ。
否、触れることが叶わないんだ。
僕が、こんなにも、彼女のことが好きだとしても……!!